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親の顔が見たい(ネタバレあり)

渡辺源四郎商店第36回公演 
下北沢 ザ・スズナリ
5月6日マチネ観劇
作・演出:畑澤聖悟
キャスト:
森崎次郎(志乃の父):各務立基
森崎雅子(志乃の母):山村崇子 (青年団)
長谷部亮平(翠の父):佐藤 誠 (青年団)
長谷部多恵子(翠の母):森内美由紀 (青年団)
辺見重宣(のどかの祖父):猪股俊明
辺見友子(のどかの祖母):羽場睦子
八島操(麗良の母):根本江理 (青年団)
柴田純子(愛理の母):山藤貴子 (PM/飛ぶ教室) 
井上珠代(道子の母):東さわ子 (劇団東演)

中野渡治江(校長):天明留理子 (青年団)

原田茂一(学年主任):近藤 強 (青年団)

戸田菜月(2年3組学級担任):折館早紀 (青年団)
遠藤亨(新聞配達店の店長):三上陽永 (虚構の劇団 ぽこぽこクラブ)  

 

今頃ようやく書いている😅

 東京楽日を観て、それから配信を終了ぎりぎりの5/31にもう一度観た。

 お芝居としてはとても良くて引き込まれるのだが、精神が脆弱な私などには話がエグすぎて再度観るには少し冷却期間が必要😓、という舞台。

 昨年は直前で劇場公演は中止になってしまい配信のみになったのだが、それも観た(及び腰ながらDVDも購入。陽永さんがご出演なのでね😅)。

 その時は、お芝居、役者さんの巧みさに引き込まれたものの、展開のエグさに感性が硬直してしまい、あまり色々考えられなかった。

(そういう方も多いように思うが、自分も中学1年の時にイジメに合っていたので尚更。はるか昔で今よりも虐め方は単純だったと思うが、今でも確実に影響は残っている。)

 でも、今年はキャストが変ったせいか、心構えが出来たせいか、もう少し色々なことを勝手に考えながら観ていた。

 名門女子中学で、自殺した生徒の遺書に名前があった5人の生徒(イジメの加害者側)の親が集められて話し合う展開なのだが、自分の子供の無実を信じて守ろうとする親達、と書くと美しく思えなくもない。

 だが、傍で観ているとヒトの無自覚な暗黒面全開。

 いや、別に重苦しいだけの芝居ではない。親達の行動はその辺でもよく見かけるような何気ない日常会話のノリだし(チラチラとマウント合戦があるのも日常だろう)、思わず笑ってしまうような行動も度々出てくる。

 役者さん皆様さすがで[やらないだろ、普通😅]というような行動もすんなり飲み込めてしまう。

 でも、だからこそ怖くもなる。

 本人も半信半疑、軽い気持ちで言い始めたことが他者の同意を得て勢いを増し、あたかも正論のようになって自らの正当性、権利を主張する。相手の小さな落ち度を論い、論点をすり替え、持論を押し通す。

 形は違えど同じことが子供達の間でも起こっていたのだろうと想像してしまう。親を見ながら子供が透けて見える気がする。役者さん達が見事に自然に体現されるので、わかっていてもやはりゾッとした。

(昨年、同時に配信された「ともことサマーキャンプ」は役者さん達が親と生徒の両方を切り替えながら演じていたのでもっと印象がえげつなかった。)

 そして、昨年観た時はあまり引っ掛からなかった学校の先生達の言動が今年は何だか気になってしまった。

 自殺した自分のクラスの生徒を自ら発見して壊れそうになっている戸田先生はともかく、校長も学年主任もあくまで誠実そうな雰囲気を醸し出しているが、一時は遺書を隠すことに同意し、状況が許せばイジメはなかったことにすらしかねない感じだった。

 事件当日で一時的に混乱していただけかも知れないけれど、人々が声の大きい人の意見に引っ張られる様をまざまざと見せつけられた。

 そして、先生達はその後も何処か他人事(自分は部外者である)という雰囲気を感じてしまった。この問題にもっとも適切な対応を職務として模索しているだけ・・・

 と自分で書いていて、あれ?そりゃ、そうか、と急に思った。

 先生は仕事だ。生徒を教育するというとても特異的で責任も重い職務だけれど仕事には違いないし、校長や学年主任となれば他の生徒達も学校自体も守らなければならないだろう。何処かドライさを保たなければ出来ないことかと、今、思った。

 ここの所を考え出すと学校教育の範疇、教師の職務とは?などと舞台の感想の範疇を越えてしまうのでこの辺で😓

 その点、新聞配達店の店長は単純に道子さんのことだけ考えることが出来る。彼のストレートな怒りや悲しみの発露はこのお芝居の中で一筋の光のような救いに感じた。いかにもヤンキーな外見と怒鳴り散らす様には迫力があったが、そのくせ、一通り主張し終わるときちんと挨拶して証拠の遺書も預けて去っていく。「親の顔が見たい。」は彼の言葉だ。

 そもそも陽永さんがご出演なのもこのお芝居を観る動機の一つだったので、そういう役で嬉しかった。

もう一つ、各務さんがお元気そうにやや気弱そうなエリートさんを演じてらしたのも嬉しかった。

 それにしても、やはり最後に学年主任さんが長谷部夫妻に「翠さんは良い子です。」と仰る意図は何なのだろうと思う。

 表面的には両親を慰めているのだろうと思うけど、単体でみれば "良い子" が集団になると同級生を自殺にまで追い込むことがあるという世の中の構図を示しているのか?

 これは昨年観た時からなのだが、ラストの長谷部夫妻の言葉はちょっと「三人姉妹」の「生きていかなければ」が浮かんだ。

 
【あらすじ】
名門カトリック系女子中学校である星光学園の一人の生徒がいじめを苦にして自殺し、遺書に名前が書かれていた5人の生徒の親達が招集された。
遺書の最後に彼女達の名前が記されているだけで虐めの加害者とは書かれていない。
徐々にお互いに話し出した親達。
自分の子がそんなことをするはずがない。子供を守らねば。そもそも自殺した子の親はパートで稼ぐような学園にそぐわない家庭環境、その子もアルバイトをしていた。
等と非の在り所を相手に求め出す。
担任や年下の友人に届いた遺書をスキを見て燃やしたり飲み込んだりして遺書自体を隠蔽しようともするが、遺書はバイト先の店長にも届いていた。
怒りを抑えきれずに乗り込んできた店長が、自殺した生徒が援交までさせられていたイジメの数々を暴露し、彼女に謝れ!と怒鳴りつける。
さらに自殺した生徒の母親が訪れ、鋭い言葉を投げつける。彼女の元にも遺書が届いていた。
親達の話し合いの主導権を握っていた他校の教師である長谷部父が実は娘の何も見ていなかったことを長谷部母(彼女も教師)が暴き、本当に気づいていなかった他の親達もようやく事態を飲み込み、子供の元に向う。

放心したような長谷部夫妻だったが、それでも「簡単に罪を認めてはいけない。」と今後の対策を練り出す。この先、生きていくために。

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